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新潟大学医学部・歯学部「献体85年」

 

新潟大学医学部・歯学部

 

新潟医専初代池原康造校長は、泉性寺にて創設の明治43(1910)年から解剖体慰霊祭を行なった。以後、毎年10月に多数の僧侶の読経のもと盛大に行なわれ、85回に及んでいる。のちには同寺の境内に「剖検體之霊」と刻した供養碑が建立され、現在も希望者はここに合祀することもできる。この碑の前で、毎年8月13日に大学の教職員がお盆の墓詣りをするが、この碑はこのあと訪れる実に多くの遺族が手向ける花束で埋めつくされる。
創設期の島田吉三郎、布施現之助、長谷部言人教授らの時代には、実習体の収集に苦労し、東京大学(小金井良精教授)より解剖体の輸送を受けて、実習を続ける状況もあったという。その後、工藤得安、平澤興両教授で代表される医科大学時代、戦後の医学部時代になり、大学の努力と病院施設の協力によって、解剖体の数は増したが、身寄りが少ない人々の解剖体が多く、解剖に対する暗いイメージは払拭できなかった。
新潟大学における篤志献体の第1号は、くしくも医専開設の明治43年に行なわれたが、献体“運動”としての活動は昭和47(1972)年に自菊会の新潟大学支部として発足した時といえる。小片保教授をはじめ、布施栄明、藤田恒夫医学部教授、小林茂夫、小澤英浩両歯学部教授など多くの人々の尽力によって動き始め、52年に新潟白菊会(故諸橋幸一支部長、理事長)として独立した。
創立10周年の昭和57(1982)年3月末日で登録者数はちょうど500名に達した。この前半10年間の解剖体254体の中、篤志献体者数は97名(38.2%)だった。昭和58(1983)年いわゆる「献体法」が成立、献体への理解が急速に深まった。これには当時の故茂野録良医学部長を先頭とした多くの方々の協力と小沢辰男代議士の尽力があった。同年6月から熊木克治教授が理事長も兼任し「静かに広がる献体の輪」の理念が浸透していった。一方、医学部、歯学部においては「充実した解剖学実習」を目指し、大学(解剖)と団体(献体)という両輪は順調にまわっている。
広く病院施設などには、多様の資料を配布し、遺体の依頼ではなく、献体のことを理解してもらうことに力点を置いて活動した。平成8(1996)年6月現在、登録者は延べ1,955名に達した。すでに多くの献体が実現され、後半14年間の解剖体572体の中、篤志献体者数は472名(82.5%)であった。解剖学実習では医学部で学生4名に1体、歯学部で6名に1体を解剖できるようになり、しかも最近の5年間は95%以上が篤志献体に依っている。
解剖学実習を終えた遺骨については、昭和57(1982)年から泉性寺において帰還追悼式を行なうようになった。また翌昭和58年からは文部大臣からの感謝状の伝達贈呈式も同時に行なってきた。さらに平成5(1993)年からは大学内の大講堂で超宗教的追悼式とし「科学の眼」で人体構造を「心の眼」で人生を学んだことを報告し、感謝を捧げた。
(解剖学教授 熊木克治)

 

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